Masayuki Kato
加藤 雅元
Project Manager

kuriyaの理事として、団体の組織化と事業展開をサポートされている加藤 雅元さん。中米ホンデュラスでの海外青年協力隊の活動をきっかけに、外務省・JICAそして国際交流基金のスタッフとして、世界40カ国以上の開発・文化交流事業に携わられてきました。現在はフリーランスで国際文化交流プログラムのマネージメントやコーディネートをされています。

多岐にわたるプロジェクトを並行して抱えている中でも、周りへの気遣いや配慮を忘れず、どんな状況でも、冷静で柔軟にプロジェクトを動かしていく。その背景には、どんな経験や想いがあるのでしょうか。

インタビューを通して垣間見えたのは、「海外滞在中に現地で受けた恩を、人生をかけて返したい」という意思と、先輩としてkuriyaの歩みを見つめる優しい眼差しでした。

 

先輩として見つめてきたkuriyaの歩み

ーkuriyaに関わることになったきっかけを教えてください。

加藤:2006年頃、僕が国際交流基金のスタッフとして文化事業の企画やコーディネートをしていた時期に、同じ部署に同僚として働いていたのが現在のkuriya代表の海老原さんでした。当時僕は、海老原さんの同僚として一緒に仕事をする機会がありました。仕事をする中で、彼女は物事を多角的に考えられる人だと思いました。

ーその後、どのようにkuriyaの事業が始まったのですか?

加藤:国際交流基金の組織内で「先駆的創造事業」と言う社内公募が行われて、海老原さんと当時、同期だった渡辺さんが応募した事業が選ばれました。その事業が、kuriyaの前身となります。外国籍の若者が多く暮らす新宿区で、中高生を対象にした映像制作のワークショップをスタートさせました。(「新宿区につながりのある中高生を対象とした映像共同制作ワークショップ」)

事業がスタートしてから、彼女は「新宿アートプロジェクト」という名前のもと、新宿区との協働事業として様々なワークショップを開催しました。

その後、海老原さんは、ETIC.という社会起業のリーダー育成プログラムに参加し、団体の組織化を進めていました。その頃、僕は国際交流基金を退職して、フリーランスで国際文化交流プログラムのマネジメントやコーディネーションを始めていました。そんな時に、海老原さんから、「団体に携わってもらえないか?」と誘われたんです。

ーkuriyaに誘われた当時、海老原の活動をどのように思われていましたか?

加藤:振り返ると、ETICに参加したことが、当時の海老原さんにとって大きな変化をもたらしたと思っています。そこに僕が携わることで、何かしらの力になれたらと思いました。

 

人生をかけて恩返しをしていく

ーもともと「移民の若者」に対して関心があったのですか?

加藤:いいえ、そもそも僕は社会の問題を解決したいと思って、団体に参加したわけではないんです。僕は海外生活で多様なバックグラウンドを持つ人たちと過ごすことが多かったので、日本で暮らす移民の人たちやその状況を特別なものとして捉えていませんでした。どちらかというと、移民の若者にかける海老原さんの想いを応援したい、という気持ちからでした。

ー団体に関わることを決めた背景には、どんな経緯があったのでしょうか?

加藤:僕は大学を卒業後、海外青年協力隊として中米のホンデュラスで活動しました。それからは、外務省、JICA、そして国際交流基金の仕事で、世界40カ国以上の開発・文化交流事業に携わりました。活動の中で現地の人たちに、本当にお世話になったんです。

そのときに受けた恩と彼らへの感謝を、今度は何かしらの形で返していけたら良いと思っていました。そんな個人的な考えもあって、「移民の若者の多様性を育てたい」という海老原さんの想いに強く共感したんです。

また、近年は自分が携わるプロジェクトで、下の世代に何かしらの役に立つことが出来たらいいな、という想いが強くなってきた時期でもありました。これからは次の世代の活躍を応援したい。そう思っていたタイミングにいただいた依頼でした。団体に携わり、彼女の想いを実現するサポートをすることが、自分にとって大事じゃないかと思ったんです。

 

kuriyaにとって本当に良い選択、舵取りをサポートしたい

ーkuriyaではどのようなことを担当されてきたのでしょうか?

加藤:海老原さんは、発想力や企画力がずば抜けている人です。でも、いろんなアイデアを思いつくからこそ、それを自分の中で整理するのは大変なんです。

海老原さんから出てきたアイデアを整理する手助けをすることが僕の役割だと思っています。また、個人としての活動ではなく、団体として組織化を進める上で、一般社団法人になるための法人化に注力しました。

ーkuriyaに関わられる中で、意識されていることはありますか?

加藤:kuriyaにとって、本当にいい選択、舵取りをするためのサポートをしたいと思っていました。組織化を進めた1年間は、様々なことを検討して、今の一般社団法人にすることを一緒に決めたんです。

kuriyaが一人一人の人生に機会を提供すること

ーkuriyaをひと言で表すなら、どんな言葉が浮かびますか?

加藤:「歩き出した」という言葉かな。その意味は2つあって、1つは、新宿アートプロジェクト時代から、海老原さんが長年やってきた活動が、ついに組織として動き出したこと。

もう1つは、kuriyaの提供している価値が、独自のものとして社会に広がっていくことです。世の中に「多文化」「移民」「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が増えてきた状況で、そういうキーワードに沿った企業や組織の活動が増えてきました。でもkuriyaは、多文化の若者と社会を見つめる中で、kuriyaが大切にすべき価値観を軸に活動しています。それはいずれ差別化を図ることに繋がるのではないか、と考えています。

表面的ではない「’実(じつ)’のあるもの」として、社会に本当の価値を提供できるはずです。それが結果として、社会に広がっていくのではないかと思います。そういう多重の意味での「歩き出した」ですかね。

ーkuriyaは、社会にどのような価値を提供できると思いますか?

加藤:団体が「若者一人一人に丁寧に向き合う」という姿勢だと思います。僕は、人と人が丁寧に向き合う中で、人は人生に何かしらの意味を見出すのだと思っています。

僕が海外に渡って活動を始めた時に、現地の人たちが、僕を暖かく迎え入れ、支えてくれたこと。彼らへの感謝は、「今後何かしらの形でお返ししていきたい」という意思になりました。また、長年の活動を経て、今は次の世代を担う若者が、それぞれの持っている強みを最大限に活かして、社会で活躍することを応援したいという気持ちもあります。

一人一人と丁寧に向き合い、若者一人一人の人生に何かしらの機会を提供することを、大切な軸として活動していること。そこにkuriyaの本質があり、僕が人生で大切にしているものとも重なるんです。

ー加藤さん、ありがとうございました!

加藤:はい、こちらこそありがとうございました。

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加藤 雅元(かとう まさゆき)
大学卒業後、中米ホンデュラスへ青年海外協力隊員として国立オーケストラ設立プロジェクトへ参加。帰国後、外務省・JICAのODA業務で世界40カ国以上へ渡航し、オーケストラ、劇場整備プロジェクトを中心に15年間従事。その後、国際交流基金にてデザイン、音楽、生活文化分野の文化交流事業を10年間担当した後、現在フリーで国際文化交流プログラムのマネージメント、コーディネーター等を務める。

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ライター:藤 あかね
写真:樽見 星爾

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